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みおしえ
11月 『小善の尊さ』
約百年に一度の周期で起こる様々なウイルスによる感染の歴史を繰り返しながら、その度に人類は、自然界と共存することを気づかされてきました。驕(おご)り高ぶる生き方ではなく、自然の道理のままに生きることを、教えられてきたのです。
それはつまり、今月の御教えである〈小善の尊さ〉に示される生き方に目覚め、善人として生きることを、常に神が願っておられるからであり、それが幸せへの道だからです。
〈神は小善を尊ぶ者に
無限の幸いを垂れ給う〉
神は、私たちが毎日の生活の中で、小さな善行を積み重ねることを喜ばれます。ですから、常に自分の生き方を見つめ、善なる行動をとれているかを意識することが大切です。
日常生活に追われていると、御教えを頂いていても、つい邪気が出てしまうのが人間。努めて邪気を出さないでいいような生き方を、コツコツと積み重ねていかねばなりません。それが神に最も喜ばれる生き方であり、幸せへと導いていただく道なのです。
それではまず、「善とは何か」を学んでまいりましょう。
〈善
小善 大善 特善〉
小善・大善・特善と、いろいろな善がありますが、神は特別な善を望んではおられません。元気に挨拶をしたり、落ちているゴミを拾うなど、誰もが毎日行うことができる〈小善〉こそが、最も大切であると示されているのです。
〈善とは
正しいこと よいこと よい行い
人間らしい行い
道徳に叶うこと
我が為 人の為になること〉
〈善〉は、特別に大きな善い事をすることではなく、日頃から人が喜ばれる事をするもの。つまり、自分が言われてされて嬉しい事は、人にも言って行う。逆に、自分が言われてされて嫌な事は、人にも言ったり行ったりしない。それを実践するだけです。
しかも、言ったり行ったりしている事が、自分の為になり、人の為にもなることが大切です。
聖主様は「本当の行とは、徒歩の行や水行など特別な事をするのではなく、善悪を弁(わきま)えて善を実践することだ」と言われていました。まさに、普段の善行こそが、本当の修行なのです。
それでは、もっと具体的に善とは何かを学んでいきましょう。
〈万物の霊長人間にふさわしき善
1 人に喜びと満足を与えることは
是れ善なり
2 人と離れず 常に感情の処理を怠らざるは
是れ善なり
3 円満を旨とし 常に和合の生活に励むことは
是れ善なり
4 襖悩は悪なりの自覚の基に
毎日 明朗快活なる生活に精進すること
是れ善なり
5 常に心の切り替え 体の切り替え
生活の切り替えを早くするは
是れ善なり〉
御神尊様が説かれる〈善〉は、世間一般で言われ、道徳で説かれているような善とは少し異なります。天地自然の道理の中で生きる〈万物の霊長人間〉としてのあるべき善です。
まずは何と言っても〈人に喜びと満足を与えること〉が善です。
「そんな事が善?」と思う人もいるかもしれませんが、人間にとって最も大切な善が、この〈喜びと笑顔〉だと言っても過言ではありません。
喜べない状況の時でも、「生きているだけでありがたい」と喜び、とても笑顔になれない辛く苦しい時でも、笑顔を忘れずにいれば、自分の心が自然に明るくなり、周りの人をも明るい気持ちにさせるため、運命は必ず開かれていくのです。
次に、どんなことがあっても、〈人と離れず 常に感情の処理を怠らざる〉ことです。
私たちはつい自分の狭い視野で相手を見て、相手の足りないところを責め咎(とが)め、感情の赴(おもむ)くままに人を傷つけてしまいます。
しかし、この世に完璧な人間など存在しません。誰にでも欠点はありますし、失敗もします。だからこそ大事なのは、相手をどうするかではなく、自分の中に湧き起こる負の感情をどう処理するか。つまり、自分の感情をいかに正していくかが重要なのです。
そして、〈円満を旨とし 常に和合の生活に励むこと〉です。
そのためにはまず、笑顔と笑い声が絶えない家を築くこと。家族の誰とも仲睦まじい生活を送り、その心で地域や職場の人とも仲良く楽しく生きていくよう努めましょう。そうすれば、皆が幸せな気持ちで暮らすことができます。
さらに、〈毎日 明朗快活なる生活に精進すること〉です。
コロナ禍の今、思うようにならない状況に、悩んでは暗く落ち込んでしまいそうになることでしょう。しかも、一度悩み始めると、寝ても覚めてもそのことが気になるものです。
しかし、御神尊様は〈襖悩は悪なり〉と示されているように、悩み続けていては、決して運命は開かれていきません。明るく朗らかな心と生活こそが、運命を開いていくのです。
最後に、〈常に心の切り替え 体の切り替え 生活の切り替えを早くする〉こと。
事情によっては、切り替えきれないことも多いでしょう。しかし、囚われている間、運命は変わりません。本庁や教会に参って御神尊(かみ)の御慈光(みひかり)を授かり、一刻も早く切り替えることです。
〈大善や特善は偽善の隣なれば
汝等今日より 小善を怠らず
毎日 小善の生活を楽しんで
自ら幸いの処へ居れ〉
大きな善や特別な善は、ちょっと間違えば偽善になりがちです。大切なのは〈小善の生活〉。「今日は、どうやって家族を喜ばせ、人様を喜ばせようか」と祈り、生きていくこと。自分も楽しく皆も楽しくなる毎日の小さな善の積み重ねこそが、結局、自分自身も人様も幸せにしていくのです。
〈小善は毎日の生活の処にありて
人間生涯に幸いを齎す〉
毎日、細やかな善を行い、人を愛し、人に喜ばれ、世のために尽くす。そんな〈小善〉を積み重ね、自分も人も幸せな生涯を送っていただくことを願って止みません。
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