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みおしえ
4月 『三宝の生活』
『御聖経』66節に、〈人生は苦悩なり〉と示されていますが、生きている限り、人生の苦悩から逃れることはできません。
そこで今月は、〈三宝の生活〉の御教えにより、どんな苦難に遭遇しても、その苦難の意味を考え、それを信仰の力によってどう切り拓いていくかを考えていきたいと思います。
〈三宝の生活は
是れ幸福健康の生まれ処なれば
汝等今日より
片時も三宝の生活を失わず
自ら幸福健康への道を行け〉
私たちは誰もが「幸せになりたい」「健康になりたい」と願いますが、〈三宝の生活〉を実践しさえすれば、必ず幸福健康に恵まれることになっています。それほど〈三宝の生活〉は、人間が生きる上でなくてはならない宝です。
したがって、様々な試練に出会った時、その試練にはどんな意味があるのかを、よくよく考えること。そして、その試練が神より与えられた自分自身への〈気づかせ〉だと悟った時、自ら幸福健康への道を切り拓いていくことができるのです。
〈生活の三宝を失わざる限り
不幸病気に会う事なし〉
不幸病気は、まさに〈三宝の生活〉を失った結果です。ですから、そのことに気づき、改善していきさえすれば、幸福健康を取り戻すことができます。
それでは、〈三宝の生活〉とはどのような生活なのでしょうか。
〈三宝の生活とは
1 理解の生活
2 調和の生活
3 和楽の生活〉
まず悟らねばならないのが、人間は一人では生きるに生きられない存在だということです。
一切(すべて)の生命は一つに繋がっており、一人だけで生きることはできません。だから、まずは家族が繋がり、人様と心から繋がって生きなければ、幸福健康にはなれないのです。
そこで第一に大切なのが、〈理解の生活〉です。理解の生活は、そのまま「愛の生活」に繋がります。
私たちは、いろいろな見方や聞き方・考え方をしますが、相手の立場に立って思いやってあげることが、〈理解の生活〉です。
しかし、どうしても過去の事から一方的に決めつけて相手を見てしまいます。そうならないよう、理解の誠をもって相手を見つめ、相手の心をしっかりと受け止めることです。そして、自分の心が本当に正しいか間違っていないかを振り返りましょう。
第二に大切なのが、〈調和の生活〉です。自分の言い分だけを主張するのではなく、深い心で調和していかねばなりません。
完全な人間など、この世に一人もいません。互いの長所を出し合って、足りないところを補い合うのが、〈調和の生活〉です。
そのためには、相手にだけ完璧を求めるのではなく、相手に合わせていくためには、どうしたらよいかを深く考えること。時には相手のペースに寄り添い、近寄ってみることです。
第三に大切なのは、〈和楽の生活〉です。それぞれの気持ちが和して調和できれば、〈和楽の生活〉ができます。
つまり、毎日、笑顔で笑って生活し、誰とでも心から繋がってウキウキと楽しく生きていくこと。
しかし、そんな生活を実践するためには、広い視野で世の中を見つめ、常に「ありがとう」の感謝の気持ちを持ち続けていくことが大切です。
〈三宝は幸福健康の母体なれば
三宝の生活を無視する者には
永遠に幸いの時の来たらず
健康の時の来たらずして憐れなり〉
もし、あなたが不幸に泣き、病気に苦しんでいるとしたら、〈三宝の生活〉を無視して、その実践を怠っているのではないかとみることです。
〈三宝の生活〉を実践して生きている限り、不幸病気になることはありません。つまり、〈三宝の生活〉を実践できなければ、永遠に幸福健康には恵まれないということです。
〈人間関係は三宝の生活に依って 初めて成る〉
なぜ〈三宝の生活〉が大切かというと、人間関係が〈三宝の生活〉によって成り立っているからです。
家族が一緒に生活していても、笑いも会話もない家庭は暗く冷たく、決して幸福健康にはなれません。
〈愛の生活とは
三宝の生活を以ていう〉
まさに〈三宝の生活〉は、愛によって成り立っています。
電気も線が切れてしまえば、たちどころに明かりが消えるように、誰かと切れてしまえば、必ず不幸病気という〈気づかせ〉をいただきます。
だから、ちょっとでも誰かと切れそうになった時は、なぜ切れそうなのか考え、心を切り替え、繋がっていくよう努めなければなりません。そして、〈愛の生活〉を取り戻すことです。
〈不幸病気は
三宝を無視し
日常生活を疎漏粗雑にする者の身の上にぞ
現わるる〉
つい私たちは、日常生活をぞんざいに送ってしまいがちです。つまり、相手の心を理解し、相手と調和して、仲良く楽しい生活を送ることができず、日々の人間関係を粗雑にしてしまうのです。
しかし人間は、いろいろな人の支えによって生かされています。だからこそ、〈三宝〉を無視し、日常生活における人間関係を大切にできなければ、不幸病気に泣く運命を背負うことになるのだということを、よくよく肝に銘じなければなりません。
そのためには、御神尊様のような広い眼差しで物事を見つめ、どうすれば皆と調和して生きていけるかを考えましょう。例えケンカしても、いつまでも引きずらず、早く仲直りすることです。
〈汝等今日より
三宝の実践者となり
幸福健康への道を行け
神の守りのあらざるなし〉
御神尊様は常に見ておられます。しかし、「我(が)」を出し合っている時には、御神尊様の大慈大愛に気づくことができません。
だからこそ、毎日の祈りの中で神の知恵を授かり、素直に〈三宝〉を実践する人になろうではありませんか。例え道に迷っても、それを自分で切り拓き、必ず幸福健康へと導かれていきます。
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