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一.運命について
4.生活と運命
(1) <運命は自他により生まる>
心と運命の因果律を掘り下げていくと、どうしても自他の関係が浮かびあがって来ます。なぜなら人間の心は他への反応によって動く場合が多いからです。このように考えてくると、自分に悪心が起こるのは相手が悪いからだとの発想になりましょうが、相手もそのように思っているわけで、この論理の立て方からは何の解決も生まれてはきません。
運命と自他の関係に対する正しい認識は、相手の過ちは自分の過ちへの反応であると受けとめ、反省し、自分の過ちについては、相手の真実を見ぬけないからであると考えるべきです。これは相手と自分の善についても当てはまります。
さらに、幸福や不幸の認識もまわりの人々とくらべる相対的な判断による場合がほとんどです。自分の運命でありながら、人よりどうであるかにばかりこだわる愚かさに目覚めたいものです。人とくらべるより、昨日の自分より善人に、昨日の自分より幸せに・・と生きたいものです。
(2) <運命のすべてを心理的に哲学的に極言すれば
幸福も不幸も健康も病気もすべての喜びもすべての悲しみも
人と人との間に発生成立する>
手を合わせ柏手を打つとパンといい音が鳴ります。心の状態も柏手と同様に人と人との間のぶつかり合いによってその音色に違いが出るものです。相手のことよりも、自分自身が掌(たなごころ)をピンとのばすが如く明るく愛に満ちておれば、自然に相手もそれに応じ、ふれあう心の響きもかろやかであります。
人と人との間を人間関係と言いますが、運命開拓のためには「対人関係」と認識して、自分自身の対人への態度を問題にし、反省と改善が必要です。
(3) <生活は運命を造り 運命は生活を支配す>
善隣の道において「生活」と表現するのは、人間関係を指しています。いわゆる経済生活のことではありません。つまり人間関係が運命を造り、運命は人間関係を支配するわけです。
生活とは生のいとなみごとで、人間関係こそその中心であります。したがってこの人間関係の乱れによる悩みは、生きんとする生命意欲さえ減退させてしまいます。
心が原因となって、生活状態の縁によって運命的結果が発生します。心の改善と現実生活の場において、対人関係が改善されなければ運命は開拓されません。
(4) <生活の美醜は運命の凡てを支配す>
どんなにすばらしく善なる行いも、恩着せがましく表現されるならば、その姿は醜く、万人は認めないでありましょう。善悪は抽象的概念ですが、美醜は具体的現象です。
人間の心は具体的なものに反応します。言っている事は正しくても、言い方が悪いと人間関係がギクシャクします。美しい生活を営むには、ある程度訓練が必要です。生活の美醜が運命の凡てを支配するのですから、そのくらいの努力はおしみますまい。言うまでもなく、生活の美とは和解和合の愛の生活で、生活の醜とは対立と憂愁の生活のことです。
(5) <幸福の水は一人では汲まれず 凡ての人と心合わせて汲む事なり>
幸福とは何かを手に入れる事ではありません。手に入れたものを分け合う処にあるのです。楽だけでなく、苦を分け合う処にも幸福があるのをあなたは知っていますか。
つまり汲んでいる水が幸福なのではなく、心合わせて汲む、その心の通い合いに幸福があるのです。
(6) <合えば明るく離るれば暗し 合えば嬉しく離るれば悲し>
このみおしえは陰陽の法則を表現したもので、善隣の道教理の根幹をなしています。心とともに生活(人間関係)の改善が強調される理由がここにあります。心がひとりでに暗くなったり、悲しくなったりするのではありません。人間関係に愛があれば明るく嬉しく、愛を失って対立すればそこに悲劇が生まれます。ともかく人に対する自らの態度に真の愛をあらわしたいものです。
(7) <喜びは汝自身の生命なり、故に喜びを造る事
これが生命を養うことと知りて、自ら生涯を楽しめ>
あなたは今、幸せですか、と尋ねると、「マァマァです」と答える人がいますが、こんな中途半端な生活では精神によどみが生じ、悩みをつくる元ともなりかねません。
かえって不幸な出来事と対決している時の方が生命が充実している場合があります。
夫婦生活でも「不満はないが、喜びもない」という状態は決して健全とは言えません。
人間は飲み食いのみで生きているのではなく、喜びから生まれる心の充実が、明日に向って生きる妙不可思議なエネルギーとなるのです。そして、愛の生活こそ喜びを生み出す源泉であります。
(8) <二にして二の道を行くこと是死の道を行くが如し
二にして一の道を行くこと是幸福健康への近道>
生命の歓びは愛にある、この歓びが精神に充ち満ちている時はどんな苦難もものともせずに生き抜くのが人間の本性です。
二にして二の道を行く、分かれの人生はただ単に悲しいと言うだけでなく、生命の存続そのものにひびわれが生じてしまいます。
二にして一の道・・これを異体同心と言い、善隣の道とは「一の道」であるといっても過言ではありません。<天地一切一心正念経>の祈りの言葉こそ「一の道」そのものでありましょう。生活に一の道を!、これが善隣の道の根本です。
(9) <汝今日より話(わ)の道を行け>
善隣の道を具体的実践するとなれば「話の道」こそが大切です。話は和に通ず・・で、生活を立て直す第一の目標をここにおかねばなりません。そして話の道の鍵が、聞き方上手にあることを案外ごぞんじでないようです。
<話は話をする者が話をするものでなく、話を聞く者が話をさせるものである>・・平凡なようでもよく噛みしめたいみおしえです。
人の目は人の心を正直にあらわすものですが、話をしている人と、話を聞いている人と、どちらが目が輝いているかと、よくよく見れば、話している人の目はランランと輝いています。生命が燃えているわけです。ですから、相手の興味ある問題について質問し、大いに語っていただくことが、何よりも大事な気くばりになります。そして受け応えを上手にしたいものです。
話の道を行くには、話し方より聞き方の勉強が肝心というわけです。
>>>>> 次回は、「一.運命について 5.病と運命」です。 >>>>>
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