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三.人生について
1.人生の目的
(1) <人の一生は死出の旅 如何なる死に方をすべきか 如何なる生き方をすべきか>
この長い人生を自分の視野でとらえようとするには、自分の死の問題から人生を見つめる必要があるようです。そうすれば、生きるとか死ぬとかの問題よりも、生き方、死に方が、何よりも大切であることがわかってまいります。
しかも人生という死出の旅の行く先は、御神尊(かみ)のみ許であり、いわゆる生命の根元であります。いつなん時御神尊のみ許に帰ることがあっても悔いのない生き方だけはしておきたいものです。
(2) <人生は謎である 人生は謎に始まり 謎に生き 謎に終わる>
人生は謎である、との心境に立った時から人生への本格的歩みが始まります。
確かに人生の一切を解明することは不可能です。しかし人生を唯一点に絞って見つめれば、人生の何たるかがわかります。それは、「何のための人生か」と人生の目的の探究に焦点を当ててみることです。
つまり「何のために人生が始まり、何のために生き、そして如何に死すべきか」が人生の根本的課題であります。
(3) <如何にして世の為になるかが 人生最大の目的なり>
人生は何のためにあるのか、この問いの答えは単純明快、世のためになろうと様々な努力を傾けることです。しかもその目的に向かう時、人間の生命は生き生きと燃え上がります。自然に目も輝いて来ます。ただし世の為と最初からあまり大きく考えず、外界すべてを世と思い、今遭遇している眼前の人や社会のために尽くさねばなりません。
(4) <慈悲なき人生は悲惨なり
汝今日より 慈悲と慈愛に汝の凡てを捧げ尽くして生涯を 楽しめ>
慈悲とは、憐に泣く人の涙に心を合わせてともに泣く心、喜びのない者に喜びを与える心、そして何物を与うるとも決して報いを求めない心です。一度きりしかない人生だからこそ、慈悲に生きたいものであります。
慈悲なき人生は悲惨なりとまで、言い切られる御神尊様の深いみ心、もっともっと修行を積み体得しなければなりません。
(5) <蝋燭の燃ゆるにしたがい 己が姿を縮めるが如く在れ>
私達の目には、ただ燃えているにすぎない蝋燭に真理をご発見になる、御神尊様こそこの世の永遠に消えざる大燈明であります。そしてひとたび御神尊様に教えをこうた者は、自己犠牲を厭うことなく、慈悲の光を輝かして救世道を行きたいものです。
(6) <幸福の水は一人では汲むに汲まれず 凡ての人と心合わせて汲む事なり>
「しあわせ」とは「仕合わせ」とも書きます。その意味するように人間お互いが仕(つか)え合う処にしあわせが生まれます。
汲んだ水より、水を汲む時の心の通い合いの中に真の幸福があるのです。しかも喜びはともに分かち合えばさらに湧き上がり、苦しみは軽くなり、苦しき中にも喜び、楽しみを発見することができます。
一人だけで汲む幸福の水の味けなさを、一日も早く悟らねばなりません。
(7) <我がものとするより 人のものになりきる者に不幸なし>
人が自分の思い通りになってくれないと嘆いていますが、自分が人の思う通りになっているかどうかは考えようとしません。人間らしい、夫らしい、妻らしい、ということは人のものになりきることを言うのです。
(8) <人の過ちも過ちなれど 人の過ち赦す能わざるその過ちは更に大なり>
「人間は完全ではない」。この言葉を自分には当てはめるのに、人に対しては完全を求めます。人の過ちを赦すことのできない人ほどその傾向があります。 「赦す」という生き方がいかに尊いかを考えてみましょう。
(9) <人を裁かず 我を裁きて初めて人と成る>
批判精神は人間の精神的成長の助けとなります。しかしこれを人にのみ向け人を裁けば、自分も人から裁かれ、対立の状況をつくり出してしまいます。
自己批判をもって我を裁けるだけの、自分に対する客観の目が肥えなければ、何も真実は見えません。
(10) <汝の敵は 汝の味方となるに最も近し>
あなたにとって厳しいことを言う人は、一見敵に思われる。しかしよくよく考えてみると、あなたのことを心底思うからこそ、苦いことも言うのです。また敵視し合う者同士は縁があればこそ関わり合っているのです。
(11) <艱難は汝の師なり 汝今日より艱難を師とし
艱難に連れられて 幸いの彼方へ行きて楽しめ>
人間の生命力は、順境の時より逆境の時に力を発揮いたします。 「艱難汝を玉にす」とは良く言ったもので、どのような艱難に遭遇しても自分を磨く修行であると心得る者は、必ず幸せに恵まれます。
(12) <為さずして成さんとするは愚かなり 汝速やかに為すを楽しめ
幸福は為すの彼方に汝の来るを待つ>
為すとは原因、成るとは結果のことです。私たちはどうしても成ることのみに心を奪われ、為すことをおろそかにしてしまいます。為すは自力業で、成るは他力の神業です。結果の成るは神におまかせして、己の為すを楽しみとする、ここになせばなるの鍵があります。
(13) <神は常に寄り付き易き人の処へ来りて 助け給う守り給う>
言うまでもなく善隣教は善人づくりの宗教です。ではその善人とは何か・・ですが、御神尊様はズバリ「寄り付き易い人」と断言されます。その寄り付き易い人とは「あかるく、やわらかく、やさしく」の三道を身につけた人のことです。この善人のところに神は来たりてお助けいただきます。
(14) <汝等今日より風の如く在れ その都度神の救いやあらん>
人生は新陳代謝により生き生きとしてまいります。風が頬をなで即座に去って行くように一切の出来事は次の場面に転換しています。執着心を捨て、今、今に誠をこめる生き方をしたいものです。自然に学び、自然に真似する人こそ人生の達人であると言えましょう。
(15) <幸福は汝を訪れず 幸福は汝の来るを待つ>
幸福ほど人間に厳しさを要求するものはない。何故なら幾度も障害を乗り越えて到達する満足感こそが幸福だからです。なんで他力依存で真の幸福が得られましょう。
>>>>> 次回は、「三.人生について 2.人生の価値」です。 >>>>>
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