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みおしえ
4.心身のいとなみ
<食物口より入りて胃におさまり 腸に下りて血骨と化し
不要物の排出されて生きるが如く在れ
人の心 汝の耳目より入りて汝の理解の心におさまり
より理解消化されて汝の生命と化し
不要の念の排出されてこそ汝の生涯や楽し>
善隣の道においては、不幸、病気などの運命的現象のすべてを神よりの気づかせのご慈悲として受け止めていますが、信仰的な理解がなければ不思議なことだと思われるにちがいありません。
しかし、それにははっきりした理由があります。と申しますのは、心は見えない世界、その見えない世界の心のうごき、心のはたらきが影響して常に肉体上の現象が生まれているのですが、宗教的な生き方で最も大切なことは、つねに人間らしい心を保つこと、そして人間らしい生活をいとなむことで、ここに最大の価値が置かれているからです。
したがって、信仰する人は何よりも先ず人間らしい人間でありたいと願っているわけですが、いま申しあげたとおり心は見えない世界ですから、どこにどんなあやまちがあるか自分にはわからないし、どこをどう改め、正していけばよいかわかりません。
しかし人間は不幸病気に遭遇し、その時はじめて、自分の心の使い方のどこかにあやまりがあり、生活の在り方が人間としての道にはずれているのだということに気がつきます。
そこで、これらの運命現象のすべてを、よりよき人間へと自分をみちびき育ててくださる神よりのお知らせと受けとめ、心と生活を改善するための試錬を授かっているのだと解釈する・・これが宗教的理解です。
もちろん、このような考え方の根本には霊肉の相関関係があります。
霊肉の相関関係とは、人間の心と体とは互いに影響し合い、支配し合っているということ。而も相関ですから、どちらが先、どちらが後でもなく、双方が同じように影響し合って、心がうごくように体もうごき、体がある方向に動けば心もそれに伴って動くということです。
これを分析すれば、肉体の機能作用と心の機能作用のすべては関わり合っており、そこには絶対の相関関係の流れていることがわかります。
それについて善隣の道では、微に入り細にわたって肉体にあらわれた何の病気は、どのような心から発生したもの、さらにこんな性格だからこの病気が生まれたのだという心と病気の関連が明確に教え示されています。
言うまでもなく御神尊様が二十年の御行により究めつくされた運命の道理すなわち心(性格)と病気(不幸)の相関関係です。
そういった心と病気の問題を考える上で、根本的な霊肉不可分の相関関係・・それを肉体の機能になぞらえ、人間らしい生き方をお説きくださっているのがこの<みおしえ>です。
その内容は、読んで字の如しですから容易に理解できると思いますが、その奥には御神尊様の発見された深い真理が示されています。
つまり“食物口より入って胃におさまり腸に下って”とあるのは、こういうすがた(経路)で肉体が機能しているから血骨と化する栄養の補給はできている。それと同じで霊の世界も、人の話(心)を見たり聞いたりしたことをそのまま鵜呑みにせず、物を食べるとき口の中で取捨選択し異物はすぐ吐き出すように、人の心をよく噛み分けて捨てるべきものは捨て、入れるべきものは入れねばならないということをお教えくださっているのです。
<人の心 汝の耳目より入りて汝の理解の心におさまり よく理解消化されて汝の生命と化し>とみおしえの後段にありますが、見聞したものを取捨選択し、食物が胃におさまり腸を下って消化吸収されるように、自らの知恵と経験に照らし合わせて、相手の言うこと為することを“なるほど”と理解し、吸収していく・・つまり記憶にとどめるものはちゃんととどめ、喜びも悲しみも感情のおさめ具合できちんと処理し、どうにも処理しきれないものは切り捨てて忘れる。そこではじめて耳目から入ったものがあなたの生命力となる。ところが、もしも消化できずして不必要なものが心に滞ればかならずそこに葛藤が生まれる。
だから、不要物はかならず外に排出するという肉体のすばらしい排泄作用と同じように、先ず受け容れたものを噛みくだいて理解消化し、その過程でどうしても馴染まないもの、受けつけないものがあったら自然に排出する、つまり忘れ(捨て)ていく。
すると、このような精神作用は肉体の機能に不断の影響をおよぼし心身ともに健全が保たれる。
食物口より入りて胃におさまり、腸に下りて血骨と化し、不要物の排泄されて生きる・・というのは、言うまでもなくその人の肉体の機能の問題ですが、心もまったくそれと同じ作用をすることがこのみおしえによってよくおわかりいただけると思います。
夫婦、親子、近隣、職場という人間関係の中で生じるさまざまな人生模様、さらにそこから生じる幸、不幸、健康、病気といった運命的現象のカギを握っているのは、目に見える世界ではなくて内面的な心の世界です。
消化、排出という心の機能が停滞すればそこにかならず苦悩が生まれる。この理法からすると、今日あなたの持っている悩み苦しみは、けっして人の所為(せい)や環境の所為ではありません。それは人さまに対するあなたの見方、考え方、環境に処するあなたの対応の仕方が間違っているのです。
つまり理解、消化が足りないため不要物を排出できなくて残滓(ざんさい)をとどめているそんな我が心の中にこそすべての苦悩の原因が潜(ひそ)んでいるのです。
以上は、きわめて大ざっばな霊肉関係の分析ですが、いついかなる場合も、人間関係や環境が運命をつくり出すのではなく、あくまでその人の心の使い方、いうならば持ち前の性分が過去から現在へかけて身にもろもろの運命をもたらしているのです。
ですから、何事によらず身のまわりに生ずる出来事は善きにつけ悪しきにつけ、原因はすべて自分にある・・との肝心かなめの道理を悟らねば運命の開拓はできません。
端的に申し上げると、運命のカギは理解消化して不要物を捨てる決断、すなわち理解と切り替えということになります。
この理解と切り替えをたくましくして人間関係を和やかに、やさしい思いやりの情で生活していけば、目に見えるもの、耳に聞こえることの悉(ことごと)くがすばらしく美しいものとなりましょう。
私たちの生命は神から授けられた心身両面の消化吸収力と排出力で維持されています。この認識にもとづいて正しく生きていきましょう。
そうすれば、<汝の生涯や楽し>で幸せな人生を全うすることができます。
>>>>> 次回は、「みおしえ 5.慈悲と慈愛」です。 >>>>>
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