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| みおしえ 
 8月 『道は心の光なり』
 
 今月は、〈道は心の光なり〉の御教えから、さらに〈善隣の道〉の尊さを学んでまいりましょう。
 
 〈道とは 人の生きんとする上に於て
 必ず践み行わなければならぬ人の道〉
 
 〈道〉とは、人間が生きていく上で、日常生活において実践しなければならない「人としてあるべき道」です。
 人間としてこの世に生を享(う)け、人間らしく生きるには、どんなに時代が変化し、社会情勢が変革しようとも、必ず実践しなければならない道筋があります。それを明確に示されているのが、〈善隣の道〉なのです。
 それでは、その〈道〉とは何か。それが次の御教えです。
 
 〈天地自然の大真理
 天地自然の道理
 天地自然の法則〉
 
 御神尊様が20年の御行によって示された〈道〉とは、まさに天地自然の大真理であり、道理であり、法則です。そして、これらすべてを一つ一つ解り易く説かれているのが、御教えなのです。
 天地万物の霊長である人間こそ、真理の業に叶い、道理から外れない生き方を学び、天地自然の法則のままに〈道〉を実践実行して生きていかねばならない存在なのです。
 
 〈神の 人間凡ての者を憐れみ給う
 御神意より出ずる善隣の道
 即ち御教えそのものを道という〉
 
 『御聖経』二十八節に〈神は道なり真理なり〉と示されていますが、〈道〉とは〈御教えそのもの〉であり、御教えとは、御神意から発露された〈善隣の道〉のことに外なりません。
 つまり、凡ての人間を憐れみ、救おうとされる神の大慈大愛そのものが、〈道〉なのです。
 御神尊様は、「神と道・神と真理は、同一のものである。しかして、神を知りたければ、道、つまり御教えに問え」と諭されます。目に見えず、耳に聞こない神の実在を感得するには、「道に祈る」こと。「道に祈る」とは、まさに神に祈りを捧げる心で「道を実践する」ことなのです。
 御教えを聞いて、「ああ、なるほど」と納得するだけでは、何の意味もありません。御教えは、実践してこそはじめて、そこに示される天地自然の真理を悟ることができるのです。
 それでは、道を実践する信仰とは、どういうものでしょうか。
 
 〈善隣の道を胸にいだき道に従い
 やりますの日暮らしに愛の生活に
 没入せんとする状態を信仰という〉
 
 〈善隣の道〉を常に心に収め、御教えのままに「やります」をもって愛の生活を実践していくこと。これが、善隣信仰です。
 つまり、神の御神意に叶うように、常に御教えの実践を怠らず、誰とでも仲良く仲睦まじい愛の生活こそが、幸福健康を造り出し、神の助けを得られる道だということです。
 まさに善隣信仰は、おかげや御利益を授がるためだけでなく、おかげや御利益を造り出す信仰なのです。
 それでは、どう具体的に実践していくべきかをみてみましょう。
 
 〈合掌の日暮らし
 感恩感謝の日暮らし 理解消化の日暮らし
 慈悲と慈愛の日暮らし 明朗生活の確立〉
 
 神に祈りを捧げ、その祈る心で人と心を合わせて生きる「合掌の生活」。生きていると思うのではなく、生かされているのだと感恩感謝する生活」。また楽しい会話によって互いの心を「理解消化する生活」。さらに、人を思いやる優しい言葉かけや、互いに励まし支え合う「慈悲と慈愛の生活」。そして、毎日を笑顔で明るく楽しく生きていく「明朗な生活」。これら五つの生活こそが、まさに実践すべき御教えなのです。
 しかし、そう理解はしても、実際に実践するとなると、なかなか難しいものです。それは、どうしてでしょうか。
 その答えが、次の御教えに示されています。
 
 〈人間心は常に暗く悩まし
 人間心に悩み多し
 人間の生涯は不幸病苦の旅〉
 
 頭では解っていても、なかなか実践が伴わないのが人間です。ちょっとした心のすれ違いで人間関係がもつれ、悩みを抱え込んでは、不幸病気を生み出してしまうのです。
 したがって、いつまでも事情を捨てきれず、囚われた暗い心を長く持てば持つほど、不幸病気を造り出すのだということを、しっかりと悟り自覚しなければなりません。
 そこで、一刻も早く暗く悩ましい心を晴らし、明るく楽しい心で生きていくためには、大元の光を感得するしかないのです。
 
 〈神は明るく 人は暗し〉
 〈神心には曇りなし 人間心には曇り多し〉
 
 神は光の大元であり、神心には一点の曇りもありません。つまり、万物を生み育ててくださっている〈天地大御親祖之神〉は、光明そのものの御存在なのですから、「神に槌(すが)る思いで道に槌れ」と、御神尊様は叫ばれているのです。
 
 〈合掌以て神に向かわば
 朝日に霜の消ゆるが如く
 人の心の曇りは晴れて光明を見ん〉
 
 悩んで心が暗くなりそうな時、神に向かって祈りましょう。温かい朝日が大地の霜を溶かしていくように、その尊い御慈光(みひかり)で心の曇りを晴らせるので、自ずと明るい未来が開かれていきます。
 
 〈善隣の道を胸に抱けば 心の光を失う事なし〉
 
 〈善隣の道〉は神である・・との信念で、御教えを単に頭で理解しようとするだけでなく、あくまで実践することによって、〈心の光〉を失わないように努めること。これが信仰です。
 
 〈道は
 我れと人とを結び合わせんとする処にあり
 信仰は 一家社会を結び合わせ
 光明世界を造らんとする処にあり〉
 
 〈道〉とは、自分と人とを結び合わせるためのものです。つまり、人と心が通じ離れない状態が、幸せの本体なのです。
 〈善隣の道〉によって、すべての人と繋がり、住みよい家庭・住みよい社会を造り上げ、『御聖経』に示される「光明世界」の顕現をめざして、一心に精進してまいりましょう。
 
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