善隣教 
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今月の言葉
みおしえ
11月『三如の生涯』
10月『結ぶ』
 9月『善を先とする』
 8月『結びの人生』
 7月『神に
    褒められる人』
 6月『精進の道』
 5月『信仰と
     人間関係』
 4月『五味の人生』
 3月『日尊の道』
 2月『五条の信仰』
 1月『穏やかなる
       生活』
12月『全力の道』
11月『汝等常に
   心明るき処へ居れ
   幸福と健康に
   恵まれざるなし』
10月『為の人生』
 9月『和と愛に依る
        信仰』
 8月『道は
     心の光なり』
 7月『人間の運命と
      人間関係』
 6月『汝の中の
      汝の発見』
 5月『調和の生活』
 4月『三義』
 3月『汝等常に
   歩くが如くあれ』
 2月『信仰心の具現』
 1月『人生の三大美』
12月『言葉の大切』
11月『人生の三道』
10月『寛大』
 9月『人間の運命と
      人間関係』
 8月『人間関係の
        調和』
 7月『神を
    よろこばせよ』
 6月『行く事が先か
    着く事が先か』

<バックナンバー>
一.運命について
 1.運命の実相
 2.運命の理法
 3.心と運命
 4.生活と運命
 5.病と運命
二.生命について
 1.生命の業
 2.生命と愛
 3.生命と新陳代謝
 4.生命と縁
三.人生について
 1.人生の目的
 2.人生の価値
四.信仰について
 1.信仰の本質
 2.神と人
 3.信仰生活
五.みうた
 1.親心
 2.家族
 3.病
 4.善隣信仰
 5.人生
六.箴言
 1.心もよう
 2.処 世
みおしえ
 1.運命転換の道
 2.己に願う
 3.喜びは生命の糧
 4.心身のいとなみ
 5.慈悲と慈愛
 6.明暗と喜悲
 7.おかげと帰依
 8.人生の謎 
 9.神の説き給う道 10.人生の喘ぎと
    神の喘ぎ
11.信仰と修行
 
みおしえ

11月 『三如の生涯』

 今月も、さらに御神尊(かみ)の御守護を授かるためにはどう生きるべきか。それを、〈三如(さんにょ)の生涯〉の御教えから学んでいきたいと思います。

〈三如の生涯に
 人間の一生を委ねる事の出来る者には
 永遠 神の守りあり〉

 人間には、人間として生きるべき道があります。それが、〈三如の生涯〉です。
 一生を〈三如の生涯〉の御教えのままに生きることができれば、必ず神に守られ、幸福健康に恵まれること間違いありません。
 それでは、その〈三如の生涯〉とは何でしょうか。

〈三如の生涯とは
 1 鏡の如くあれ
 2 清水の如くあれ
 3 風の如くあれ〉

 先ず〈鏡の如くあれ〉とは、ありのままを映し出す鏡のように清らかな心になりなさいということです。
 次に〈清水(しみず)の如くあれ〉とは、地中でろ過されて湧き出る水のように、清らかで、どんな器(状態)にも溶け込める柔軟な心になりなさいということ。
 そして〈風の如くあれ〉とは、風のように爽やかに、どんな物(状況)も吹き飛ばして囚われないようにとの御諭しです。
 鏡も清水も風も、すべては自然界に存在するもの。人間もまた同じ自然界に生きています。だからこそ、自然界の道理のままに生きることが、人間としての幸せを掴む生き方なのです。

〈鏡には 清水には 風には
 曇りがない 濁りがない 汚れがない
 故に人間常に
 鏡の如くあれ 清水の如くあれ 風の如くあれ〉

 当たり前の事ですが、鏡には曇りがありません。曇っていれば、それは鏡としての機能を果たせないからです。同様に、清水には濁りがなく、風には汚れがありません。
 そんな鏡のように、清水のように、そして風のように、〈三如〉のままに生きて来たかどうか。しっかりと自分の人生を振り返り、自分の生き方を見つめ直してみましょう。
 そしてもし、〈三如〉の生き方ができていなかったことに気づいたならば、今すぐに〈三如〉の生き方に目覚め、その実践に努めることです。

〈抑々(そもそも)人間の上に不幸病気の現象する
 その理由 その原因はいずれにあるか
 即ち その人の人柄が三如の人生になっていない
 つまり その人柄に
 曇りがある 濁りがある 汚れがあるから
 それが不幸病気のすがたとなって現れている〉

 ここで今一度、なぜ人が不幸病気に泣かされることになるのか、その原因を考えてみましょう。
 それは、とりもなおさず、その人自身の人柄が、〈三如の人生〉になっていないからに外なりません。つまり、心に曇りがあり、濁りがあり、汚れがある人柄が、そのまま不幸病気という姿になって現れているに過ぎないということです。
 それでは、どうすれば心に曇りや濁り・汚れがある人柄を、曇りも濁りも汚れもない人柄に変革できるのでしょうか。それは、日々、信仰に精進するしかありません。
 なぜなら、信仰があるからこそ、不幸病気を嘆き悲しむ悲惨な状況として捉えるのではなく、自分自身が心清らかな人柄になるための、御神尊様の慈悲慈愛による〈気づかせ〉なのだと、受け止めることができるからです。

〈心中に潜む精神的な心の曇り 精神的な心の濁り
 精神的な心の汚れ
 即ち家庭的事情 社会的事情に由る憎悪の念
 襖悩の念 自善他悪の念などが
 不幸病気の原因となっている場合が殆どである〉

 毎日の生活の中で、様々な家庭的事情や社会的事情が起きると、どうしても「邪気」が出てしまいます。そして、その邪気を持ち続けていると、精神的な心の曇りや濁り・汚れとなって、「邪念」となっていきます。しかも、その邪念が心中に潜むと、憎み咎める〈憎悪の念〉となり、深く思い悩む〈襖悩の念〉となります。
 その上、自分は絶対に間違っていない、相手が間違っていると思い込む〈自善他悪の念〉に凝り固まると、誰とも心を通わすことができなくなり、自ずと不幸病気という〈気づかせ〉を頂くことになるのです。
 だからこそ御神尊様は、「先ずは、その両手に持つ邪気邪念を捨てなさい」と御諭しいただきます。しかし、「捨てないといけない」と頭で分かっていても、なかなか捨て切れないのが人間。
 というのも、自分は未完成であり不完全な人間でありながら、家族や人様には、どうしても完璧を求めてしまうからです。これが、様々な事情を発生させ、邪気邪念に囚われてしまう元凶です。
 したがって、そんな求め心を一掃するためには、相手に対する見方や考え方・受け止め方を変えていくしかありません。そのためにこそ、今、今を、祈りと御教えの実践に精進し、それを毎日、積み重ねていく「信仰」が必要になるのです。
 ひたすら御神尊様の慈悲慈愛に縋って〈善隣の道〉を身につけ、自らをコントロールして、心の曇りや濁り・汚れを払拭していきましょう。

〈故に汝等幸いならんには
 心中の曇り 心中の濁り 心中の汚れを
 整理清算して
 常に鏡の如く 清水の如く 風の如く
 三如の生涯に人生を委ねよ
 必ず神の助けやあらん 守りやあらん〉

 不幸病気に遭遇した時、先ずは「御神尊様から何を気づかせていただいているのだろうか」と考えること。そうして、神の眼で自分の心をよくよく見つめ、曇りや濁り・汚れがあるなら、それをきれいさっぱり洗い流し、〈三如の生涯〉に生き抜くことです。
 そうすれば、まさに御神尊様が示された〈神化道(しんげどう)〉を生き抜べことができ、幽界へ旅立ってからは、子々孫々を守っていく偉大な守護霊(まもりみたま)となることができるのです。
 常に鏡のように、清水のように、風のように、〈三如の生涯〉に生き抜きましょう。必ず神に助けられ、守っていただきます。