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みおしえ
9月 『善を先とする』
今月は、〈善を先とする〉の御教えによって、〈善〉とは何か、そして〈善人〉とはどういう人なのかを学び、その実践に精進して、幸運を掴んでいただきたいと思います。
〈汝等今日より
善を先とし 人となれ
神は汝の善の速度に応じて
汝等を助け給う 救い給う〉
自分の人生を決めていくのは、人ではなく自分白身です。それでは、どんな自分が神に助けられ、救われるのか・・。それはやはり、何よりも先んじて〈善〉に生きる人間です。
しかも、〈善〉を率先して行えば行うほど、神も率先して助けていただきます。
〈善を先とし 善良なる行為に依り
善人となる事が先である〉
どんなに頭が良くて有名大学を出ていても、どんなに名声があり、お金持ちであっても、率先して〈善〉を行う〈善良なる行為〉ができなければ、〈善人〉とは言えません。〈善人〉になれないままでは、人間として生きていく価値がないのです。
そこで先ずは、〈善〉を施せる人間になること。それが人間として最も大切なことで、そのためには、毎日、コツコツと〈善〉を積み重ねていくしかありません。
〈神に救いを求むるには
私 今日から
より立派な善良なる人間 善人になりとう御座います
どうぞ神様 お導き下さい お助け下さい
幸福よりも善なり
健康よりも善なり
人の善よりも 我が善なり〉
幸福や健康を願い、他の人が善を行うことを願って祈るより、自分自身が〈善人〉になることが先決。先ずは、〈より立派な善良なる人間〉、つまり〈善人〉になることを誓い、それから神に助けを求めてこそ、神もその願いを叶えてくださるのです。
〈為すべき事を進んで為すは 是れ善なり
為すべからざる事を進んで改むるは
是れ善なり
善の積極的実践
悪の積極的改善〉
自分がされて嬉しい事は積極的に行うのが、〈善〉。また、自分がされて嫌な事は絶対にしないように努めるのも、〈善〉です。
常日頃から、〈為すべき事〉か〈為すべからざる事〉かをよくよく考え、〈為すべき事〉ならば積極的に実践し、〈為すべからざる事〉ならば積極的に改善していく。それが、〈善〉なのです。
〈己が行為に対して 善悪の批判なき者には
幸福健康の時や来たらず〉
かつて聖主様は、「行の中で最も難しい行は、善悪を弁える行である」と教えていただきました。
「してならない事は、絶対にしない」と心に決めていても、状況によっては、つい感情的になって、相手を傷つけてしまうこともあるかもしれません。その時は、すぐに反省し、謝罪し、改めること。それが、幸福健康への道です。
〈夫婦の善 親子の善
家庭的善 社会的善〉
夫婦・親子の間でも、家庭や社会の中でも、朝起きたら、「おはよう」とあいさつし、何かしてもらったら「ありがとう」と感謝の言葉を述べる。そんな日頃のちょっとした〈善〉が、皆を幸せにしていくのです。
〈解けよ解け 解いて結んで善人の道を行け
解けよ解け 解き得ざるものは
すべてを捨てて善人の道を行け〉
人間関係の糸がもつれてしまった時、なぜもつれてしまったのか、その問題(事情)を冷静に見つめて、解決していくことです。
それでも、解ききれない時には、その一切を御神尊様に委ねて捨ててしまうこと。そして、新たに〈善〉に生きることです。
〈解きも得ず 捨ても得ずして
懊悩の処へ居るは悪なり
故に その日暮らしや憐れなり〉
問題(事情)を解こうともせず、それを捨てようともせず、一人で悶々と悩み抜くのは、〈悪〉です。なぜなら、悩んでいる心のままでは、人と心を通わして楽しい気持ちになれないからです。
ちょっとした悩みなら、誰かに相談してみましょう。誰にも言えないほど大きな悩みなら、ひたすら御神尊様に縋って祈るしかありません。きっと解決の糸口を示してくださいます。
〈人となるを先とし 健康を次にする者は
必ず神に救われる
人となるを先とし お助けを後とする者は
必ず神に救われる〉
健康や救いを求める前に、先ず〈人となる〉ことが先決です。〈善人〉になることが、必ず神に救っていただく道なのです。
〈人に喜ばれる者は善人なり
人にすかれる者は善人なり
人に親しまれる者は善人なり
人に愛される者は善人なり
人に尊敬される者は善人なり
すべての人と円満なる処へ居る者は善人なり〉
言葉遣いも行為行動も、すべて人に喜ばれる人間になること。特に家族に喜ばれる人は、他の人からも喜ばれます。
また、話しやすく寄りつきやすい人は、誰からも好かれ親しまれます。そして、自分から人を愛し尊敬していけば、必ずまた自分も愛され尊敬されていく人になっていきます。
そうして、すべての人と仲良く楽しく円満に生きていく人こそ〈善人〉であり、〈善人〉は自ずと幸せに恵まれるのです。
〈善の速度は いつ神に救われるかを決定す
故に汝 直ちに善を急いで人となり
悩みなき人となれ 必ず神の救いあらん〉
どれほど積極的に〈善〉を実践できる人間になれるかによって、いつ神に救われるかが決まります。
どうぞ、自分の行為・行動・言動を、客観的な眼(まなこ)で見定め、〈善隣の道〉に照らして、〈善人〉へと磨き高まっていきましょう。
〈善を先とする〉者は、必ず神に救われ、真に幸せな価値ある人生を生き抜くことができるのです。
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