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みおしえ
6月 『精進の道』
70年前、御神尊様が善隣教を立教し、〈善隣の道〉を世に顕(あらわ)されたのは、まさにこの世を「善隣の園」にするためです。
そこで今月は、偕に精進していただいた皆様が、さらに新たな思いで信仰に励み、危機的状況の世の中を光明世界へと変えていただきますよう、〈精進の道〉を学んでいきたいと思います。
〈汝等今日より 精進の道に励みて
常に心明るく 楽しきところへ居れ
幸いの来たらざるなし〉
よく「苦しい時の神頼み」と言いますが、切羽詰まらないと神に縋(すが)ろうとしないのが、人間です。だからと言って、ただ単に神に救いを求め、神に縋るだけの信仰では、その時だけの一時的な幸せしか得られません。
そこで、生涯にわたってずっと幸せでいたいと願うのであれば、どんな時でも心を明るく、誰とでも楽しく生活できるよう、日々コツコツと〈精進の道〉に励むしかないのです。
〈願うよりも勤むる者に幸いあり〉
困った時だけ、病気になった時だけ、「助けてください」と神に願っても、その時だけは何とか助けていただくかもしれませんが、そのおかげは決して長続きはしません。
それよりも、「人間らしい人間になります」と誓いを立て、その実践に励んでいけば、自ずと幸せになっていきます。
御神尊様は、20年の御行によって、「人間は神に最も近い力を持っている」と発見されました。だから、人間として為すべき事を為していけば、必ずその偉大な人間力を発揮して幸せになれるのだと御諭(みさと)しいただくのです。
〈七転び八起の大信念を堅持し
如何なる苦難に遭遇するとも
反省と懺悔と改善に精進する者には
不幸病気の発生する隙間なく
永遠に幸福と健康に恵まれて楽し〉
私自身もそうですが、皆さんもまた、これまでの人生で、何度も何度も苦難に遭っては、その度に乗り越えて来られたのではないでしょうか。
転ぶ度に、「またか!」と落ち込みながらも、命がある限り、人間は生き続けなければなりません。どんなに苦しく辛い目に遭っても、空腹になれば食べたくなるし、眠たくなれば寝て、与えられた命を生かしていこうとするからです。
だからこそ、転んだ時にどう生きるべきかを示してくれる羅針盤が必要であり、その羅針盤こそ、まさに〈善隣の道〉なのです。
どんな苦難に出遭っても、それを乗り越えてみせるという大信念のもとに、〈善隣の道〉のままに生きていたか、いなかったかを深く反省する。そしてもし、誰かを苦しめ悩ましていたことに気づいたのなら、心から懺悔し、その過ちを二度と繰り返さないように改善に精進する。そんな人には、不幸も病気も発生する暇がないので、永遠に幸福健康に生きることができるのです。
それでは、〈精進〉とは何か。次に具体的に示されていますので、一つ、一つ、心に収めていきましょう。
〈精進とは
精神(こころ)をこめて悪行を止め 善行を修めること
雑念を去り 一心に信仰を身につけ
これを怠らざること
邪気邪念の虜とならず その場その場で
感情の処理につとめ 気の切り替えを早くし
常に心明るく 楽しきところへ居ること
囚われず 悩まず 常に心身共に
明朗快活ならんことに努力すること〉
先ず何と言っても、〈悪行〉つまり相手を傷つけるような言い方をしたり、相手が不快に思うような顔つきで言ったりするのを止め、相手の言う事を素直に聞き、また相手が気持ちよく納得できるような言い方をし、態度をとることです。要は、正しい事を正しく言う〈善行〉に努めることが〈精進〉なのです。
次に、いろいろ雑念が湧いて来て、心が落ち着かない時には、とにかく御神殿の前に額(ぬか)づいて祈ること。御神殿がない所では、心に御神尊様を念じ、「御神尊様なら、どう考えられるだろうか」と自問自答する。こうして常に御神尊様を心に抱いて物事を判断し、自分自身を振り返ることによって雑念を払い、一心に信仰を身につける努力を怠ってはなりません。
さらに〈精進〉とは、つい邪気が出てしまったり、邪念に囚われたりした時に出てしまう感情を、その場その場で処理し、いつも明るい心で楽しい生活を送ることです。
そのためには、日々、合掌を忘れず、『御聖経』を読誦し、「やります」を唱える。そうして、どんな感情も、できるだけ早く切り替えていけるよう努めることが肝心です。
要は、どんな事情にも、どんな言葉にも囚われず、悩まず、明朗快活な人になるよう努力するしかないということです。
生きていれば、いろいろな問題が起こり、様々な事情が発生します。また、感情のままに言葉を発したり、行動をとったりする人もいます。
そんな毎日の中で、いつも誰とでも心明るく楽しく生きていくためには、その問題や事情に囚われず、感情的な言葉や行動に悩まされない自分になるしかありません。その努力こそが、まさに〈精進〉なのです。
〈汝等今日より
努力精進の道に励み
毎日 心明るく楽しきところへ居れ
幸いの来たらざるなし〉
立教70年を記念し、皆で一生懸命に精進しているのは、未だ〈善隣の道〉を知らず、苦しみ悩み囚われている人が、心明るく楽しく生きるための信仰を伝えるために外なりません。
私か「百日大行」の最後に入山した原田御行場の全国御行場遥拝所の正面中央には、御神尊様が十数回も書き直されたという御神筆『善隣之園』の額が掲げられています。
苦しい時、辛い時、「きつかったねえ」「辛かったねえ」と一緒に泣いてあげる信友がいる。嬉しい時、楽しい時、偕に喜んでくれる信友がいる。そんな「善隣の園」が全国各地に、全世界に広がっていくことを、どれほど御神尊様は願われていることでしょう。そのための〈努力精進の道〉を、一歩、一歩、まっしぐらに進んでいこうではありませんか。
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