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みおしえ
6月 『神に好かれる者』
御神尊様は、「人間一人残らず〈神の子〉たるを自覚し、自らの信仰精進によって霊性を磨き高め、人間らしいに人間になってくれ」と願われ、私たちに〈善隣の道〉を示されました。
つまり、善隣信仰の目的は、お参りやお祈りでご利益を授かることではなく、あくまでも人としてのあり方・生き方を身につけるために御教えを実践することなのです。
そこで今月は、あなた自身が夫婦親子などの家族だけでなく、近隣社会の全ての人に好かれる人間になって、「善人」と呼ばれる人になるための御教えを学んでいきましょう。
〈神に好かれる者皆 神に救われん〉
人に好かれ、「善人」と呼ばれる人になるには、何をさておいても〈神に好かれる者〉にならねばなりません。
どんなに本庁や教会に参拝し、お祈りを捧げても、幸福健康になりたいという願望が全て叶うかというと、そうでもないのはなぜでしょうか。
ズバリ、〈神に好かれる者〉ではないからです。
あなたの願望を叶えていただくのは、神の意思ではなく、あなた自身が神に好かれる人間として生きているかどうかなのです。
それでは、〈神に好かれる者〉とは、どういう人間なのか。
〈汝等 神に救われんには 人に好かれて
神に好かれる人となれ 神に救われざるなし〉
〈神に好かれる人〉になるということは、「人に好かれる人」になるということに外なりません。
いわゆる、すべての人に好かれる人間になることこそが、神に好かれ、神の救いを授かる道だということです。
その具体的実践が、次の御教えに示されています。
〈人に好かれる人となるには
自善他悪の念を持たないこと
人との親しみを深くすること
人の心を理解すること
和合の生活を旨とすること
常に明朗快活であること
以て すべての人にすかれる人は
必ず神にすかれて 神に救われん〉
すべての人に好かれる人間になるのは容易ではありませんが、この御教えを素直に実践できたならば、必ず神に好かれる人となり、人に好かれる人となることができます。
まずは、〈自善他悪の念を持たないこと〉です。
私たちは、どうしてもこの〈自善他悪の念〉で人を見たり捉えたりして決めつけてしまいます。「自分は善い人間で、悪いのはすべて人である」と考えてしまいがちです。
「親の私は間違ってはいない。悪いのは子どもだ」とか、「夫の私は正しくて、間違っているのは妻だ」など、人間同士の間で発生する事情の根本となる原因は、〈自善他悪の念〉によるものだといっても過言ではないでしょう。
つまり、〈自善他悪の念〉をもったままでは、いつまで経っても問題は解決できず、不愉快な思いが心にわだかまったまま悩み続けることになります。それでは毎日が面白くも楽しくもなく、気づけば相手との人間関係がギクシャクして誰も自分を理解してくれる人がいなくなり、一人孤独になってしまいます。
こうした状態を、御神尊様は「不幸」と名づけられました。
したがって、人に好かれ神に好かれる人間に生まれ変わるには、まず〈自善他悪の念〉を捨てること。間違いは誰でもあります。それを寛大な心で受け止める。それが、信仰であり祈りなのです。
第二に、〈人との親しみを深くすること〉です。
人と深く親しむことができれば、人に好かれます。家族だけでなく、すべての人と親しみ深くできるよう努力していきましょう。
第三は、〈人の心を理解すること〉です。
私たちは、どれほど相手の気持ちや考えを理解できているでしょうか。親子夫婦など、家族同士でさえ心から繋がれないのは、相手の気持ちをよく理解できないのが原因です。
相手の心に寄り添いながら、「どうしてこんな事を言ったのだろう。したのだろう」と、相手がそうせざるをえなかった状況や気持ちをよく理解し、受け止めてあげるのが、まさに愛の心であり、愛の生活を実践できる人こそが、人に好かれるのです。
第四は、〈和合の生活を旨とすること〉です。
これまでの節で述べたように、自善他悪の念を捨て、人と親しみを深くし、理解心を旺盛にすることができれば、自ずと誰とでも仲良くできる和解和合の生活に繋げていくことができます。
そして最後に、〈常に明朗快活であること〉。
何と言っても、毎日を明るく楽しく、愉快な心で笑って暮らす。これほど幸せなことはありません。そのためにこそ、いつも明朗快活であることは、すべての人に好かれる最も大切なことで、最も心がけなければならないことなのです。
以上、一つ一つの御教えを、焦らず、諦めず、実践していくことが、善隣信仰です。
どんな事情が発生しようとも、どんな運命苦に遭遇しようとも、すべての人に好かれる自分であったかを反省し、〈神に好かれる者〉に生まれ変われば、必ず神の救いを授かることができます。
〈祈るから神に救われるというわけのものではない
祈る心で人にすかれる人になる様に努力するから
神に救われるのである〉
御神尊様が諭される〈善隣の道〉の真髄とは、まさに「人間づくり」であり「善人づくり」です。
したがってこれからは、神に好かれ、神に救っていただくために祈るのではなく、すべての人に好かれる人間になろうと常に努力精進すること。『御聖経』《御璽経》を祈る心のままに、人に好かれる人間になろうと努力している私たちを、御神尊様は必ずご照覧いただいています。
〈人間の運命は 人にすかれて 神にすかれる人になるか
否かに依って決まる〉
運命製造の鍵は、人に好かれ、神に好かれる人になれるかどうかにかかっています。
要は、自善他悪の念を捨て、親しみを深くし、人の心を理解して和解和合・明朗快活の生活の実践に精進していくことです。
〈幸福への道も 健康への道も 神に救われる道も
すべて人に好かれて
神に好かれる人となる事なり〉
幸福健康になる道も、神に救われる道も、ただ一つ。すべての人に好かれ、神に好かれる人間に生まれ変わることです。
そのためにこそ、すべての人の幸せを祈る信仰に徹し、すべての人と明るく楽しい毎日を送ってまいりましょう。
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