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みおしえ
10月 『神を友とす』
今月20日に催される「御神尊感謝大祭」では、御神尊様へ感謝の祈りを捧げますが、いろいろな運命にもがき苦しむ私たちに、御神尊様は様々な角度から真理(真実の道)を授けていただきます。
そこで今月は、〈神を友とす〉の御教えを通して、私たち人間が常に神に生かされている存在であることを悟り、〈神の子〉としての自覚をもって、さらに幸せな人生を築いていただきたいと思います。
〈汝今日より
神を友とし神に守られ
永遠 幸いの処へ居れ〉
〈神を友とし〉とは、もっと神に縋(すが)り、もっと神に甘えて親しくなっていいのだと示されているのです。
生きている以上、人間は何かの事情で苦しむのが常。しかし、食事ひとつにしても、天地の恵みなしで生きることはできません。
だからこそ、いつも神に生かされ守られていることに感謝する。そんな密接な関係になることが、神を友とすることなのです。
〈人間すべて
男は 男を以て更に女を以て友とし
女は 女を以て更に男を以て友とす
夫は 妻を以て友とし
妻は 夫を以て友とす
親は 子を以て友とし
子は 親を以て友とす〉
〈人は 人を以て友とす〉
〈友〉とは、まさに親しい間柄のことですが、人間である私たちは誰と友にならねばならないのか。
現実の世界では、先ずは人と友になることが原則です。男女・夫妻・親子など、縁ある一切(すべて)の人と親しくなることです。
〈人間
一人では生きるに生きられず〉
私たち人間は、決して一人で生きていくことはできません。誰かに支えられ誰かを支えて生きていますし、これからもそうです。
しかし、何と言っても、天地自然に貫かれている大いなる神の力によって生かされていることを、決して忘れてはなりません。
〈友とは
親しく交わる事の出来る相手 間柄
心を同じうする事の出来る相手 間柄
友達 朋友〉
一生の中で、私たちはどれだけの人と出会うでしょうか。
その中で、親しく交わり、心を一つにできるような間柄になれる相手、つまり〈友〉を持てるというのは、その人の人生にとって、どれほどありかたく有意義なことか分かりません。
〈友に
家庭的友 社会的友
一時の友 永遠の友〉
右に示されているように、〈友〉は四つに分けることができます。その中でも最高の友は、やはり〈家庭的友〉です。なぜなら、家族は無償の愛情によって支え合っているからです。
また、ほんの一時の間だけの友もいますが、たまに会っても、いつも会っているかのように変わりなく親しく交わることができる友もいます。それこそが〈永遠の友〉であり、その意味では、信仰で繋がる友(信友)もまた〈永遠の友〉だと言えるでしょう。
〈赦し合い 援け合い 愛し合い
常に頼りとなる友は家の内にあり〉
赦し合い、援け合い、愛し合う存在。つまり、補い合う存在が、家族です。そして、その家族が住む家こそが、まさに命が最も生き生きと育まれる所です。ですから、その家を忘れて、どんなに「幸せにしてください」と祈っても、その願いは通じません。
そこで、「本当に自分は家族から愛されているか?」と、今まで生きて来た家族の中でのあり方を、しっかりと見つめ直さねばなりません。最高の友である家族に対して、常に感謝の気持ちをもっていたか。単に思っているだけではなく、実際に笑顔で「ありがとう」と、心を込めて伝えていたかを振り返ってみましょう。
偕に〈神の子〉として暮らしている家族なのですから、いつまでも過去の事に囚われて、不愉快な暗い生活をするのではなく、互いの欠点を補い合いながら、明るく楽しく生きていくことです。
〈昨日の友は今日の敵
昨日の敵は今日の友〉
〈人よく友を失い 孤立無縁の淋しさに泣く〉
しかし、人間は憐れなもので、ちょっとした事でスレ違っては相手のことが理解できず、背中合わせになることがあります。
挙句の果てに誰とも心通わすことができず、孤立無縁になっては、その淋しさに泣き、暗く悲しい日々を送ることになるのです。
〈相談相手の友を持つ者は幸いなり〉
だからこそ、喜び悲しみも何でも話せる相手を、つまり何でも聞いてもらえる相談相手を持つこと。それが深い縁で結ばれた家族であれば、さらにその結びつきは深くなっていきます。
〈友の力に限りありて百事悉く成り難し〉
友と言っても人間ですから、完璧ではありません。だからこそ、神を友とすることが大切なのです。それが、次の御教えです。
〈神を友とする
神は 汝等の相談相手となり給う
神は 汝等の涙を拭き清め給う
神は 汝等の悲しみを慰め給う
神は 汝等の一切の邪曲りを解き給う
神は 汝等に幸福健康への道を諭し給う
神は 汝等の無二の親友となり給う
以て汝等を助け給う 守り給う〉
例え家族であっても、理解し合えないことがあります。そんな時は、遠慮なく神に尋ねることです。そして思う存分、泣きましよう。神はその涙を拭い、慰めてくださいます。
祈りを通して神に縋ることができれば、それまでどうしても拘(こだわ)って解きえなかった過去の事情も捨て去ることができます。
まさに、無二の親友となれる存在こそが、神なのです。
〈神を友とし 神と親しみ
神に守られる者の信仰は盤石なり〉
神を友として生きれば、その信仰は確固たるものになります。
〈神は 汝の敵とはならず
神は 汝より離るる事なし
故に神を友とし 神に守られ
信仰の道を行け〉
絶対に私たちを見捨てられない神を友とし、何を見ても何を聞いても「ありがたい」と思う〈信仰の道〉に生き抜きましょう。
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