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みおしえ
8月 『穏やかなる者』
人間は生老病死という「宿命苦」から逃れることはできませんが、貧病争という「運命苦」は必ず開拓できると、御神尊様は私たちに〈善隣の道〉を示していただきました。
そこで、「家族皆信仰月間」である今月もまた、〈穏やかなる者〉の御教えを学び、しっかりと自分自身を見つめ直し、家族皆が真の幸福と健康を掴んでいただきたいと思います。
〈心穏やかなる者には 常に神の守りあり〉
日々のいろいろな出来事によって心が乱れ、穏やかな心でいられない時もあるかもしれませんが、心が穏やかでなければ、神の救いを授かることはできません。
それでは、〈穏やかな心〉とは、どんな心の状態であるかを、もっと具体的にみてみましょう。それが次の御教えです。
〈穏やかな心とは
安らかなる精神状態 落ち着いた精神状態
言葉柔らかく顔に笑顔を失わざる精神状態
感情に走らず親しみの情を失わない精神状態
邪気邪念なく 嬉しく楽しい日暮らしの
出来ている精神状態〉
〈安らかなる精神状態〉とは、一切(いっさい)の不安がない心の状態のことです。しかし、つい生活に追われ、慌ただしく騒々しい生活を送っていると、心がざわつき、自分で自分の心を治めることができなくなります。そこで、冷静に自分自身を見つめる〈落ち着いた精神状態〉でいることが求められます。
その時、何よりも大切なのが、「言葉」です。言葉は人間だけが神から授けられたもの。それだけに、その言葉をどう使うかが、大きくその人の運命を左右します。できるだけ相手の耳に心地よく響く言葉を使うよう心がけましょう。
そして、言葉と同様に大切なのが「顔」の表情です。能面のように無表情だったり、ぶっきらぼうの顔では、誰も寄りつきたくはありません。まさに「笑顔」こそが、相手の心を和らげ、自分自身の心もまた柔らかくしていく最高の顔です。
また、どうしても自分の思うように物事が運ばなかったり、相手から傷つけられる言葉や態度をとられたりすると、すぐ感情的になってしまうのが人間です。ですから、感情に走りそうになる自分を諌(いさ)められるよう、常日頃から自分自身を客観的に見つめる習慣を身に付けておかねばなりません。そんな冷静な眼差しを養うのが、祈りであり信仰なのです。
さらに、心に邪気邪念がなく、嬉しい気持ちで誰とでも楽しく過ごすことができる心こそ、〈穏やかな心〉と言えるでしょう。
〈我が心を 如何ともする事の出来ない場合は
精神的穏やかさを失い
その精神状態や憐れなり〉
人間は、どうしても過去の出来事に囚われ、執着してしまうものです。「あの時、こうしておけば良かった」「ああしておけば良かった」と、いつまでも悔やみ、心が過去に縛られていると、穏やかな心でいることができません。
時は一瞬たりとも止まることなく、流れ続けています。それなのに、その自然の道理に反逆し、心が過去に止まったままでは、どうしても自分で自分の心を調整することができないのです。だから、ついイライラしたり、カッとなったりして、心に穏やかさを失ってしまうのです。
〈汝 神に助けられんには
一切の精神的邪曲りを捨て 感情の上下を調整し
常に調和されたる精神状態の処へ居て
自ら穏やかなる処へ居れ
必ず神に救われん〉
御神尊様は、「蟠(わだかま)り」という字を、あえて「邪曲り」と表現されています。それは、人間の心が邪気邪念で捻じ曲がっている状態を示されたかったからです。つまり、心に住みついている一切の「邪曲り」を捨て切れなければ、決して神に助けられないということです。
この世に完璧な人間など一人も存在しません。誰もが不完全な存在です。だからこそ、相手にばかり完璧を望まず、大きな広い心で受け止め、そう言わざるをえなかった心を、そうせざるをえなかった心を理解してあげましょう。
それでも、ついカーッとなったり、イラッとした時は、その感情をできるだけ早く調整し、いつも穏やかな心で穏やかな生活を送っていけるように努めましょう。
御神尊様は、喧嘩をしてはならないとは言われません。時に喧嘩になったとしても、「いつまでも、このままではいけない」と、すぐに自分の感情を調整し、何事もなかったかのように、日頃の穏やかな状態に戻ることが大切だと言われているのです。
〈不幸病気は
精神的穏やかさを失いたる人の身の上にぞ
現わるる
故に汝等 速やかに心穏やかなる人となれ
絶対 神の助けあり
不幸は不幸に任せる事よろしく
病気は病気に任せる事よろしく
唯々 己が心を穏やかに
不幸と病気と襖悩の虜とならず
日常生活を明るく楽しくする事こそ
是れ 幸福健康への近道にて候
神に救われる妙法にて候〉
不幸病気とは、泣いて悲しんでいる状態に外なりません。つまり、穏やかな心を失った人に、当然の結果として現れているに過ぎないのです。
ですから、一時も早く〈心穏やかなる人〉になることです。そして、〈心穏やかなる人〉になるためには、どんな人にも、どんな事にも感謝できるよう努めることです。
常に、心から素直に「ありがとう」と言えるようになれば、運命は必ず好転していきます。必ず神から助けていただけるようになっているのです。
不幸になっても喜ぶ。病気になっても喜ぶ、そんな広い心になって、一切の運命を受け止め、決して囚われない。唯ひたすら、自分の心が穏やかであるよう努めることです。
まさに幸福とは、喜んで笑って楽しく暮らしている状態に外なりません。そして、そういう生活を創り出すのは、他の誰でもなく自分自身なのです。
〈善隣の道〉は、「やります」です。言葉を柔らかく、笑顔を失わず、「ありがとう」の感謝の言葉を発していけるよう、常に自分を諌めながら御教えの実践に精進しようではありませんか。 |
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