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みおしえ
10月 『神慮』
今、各教会において「大祈祷祭」を行っていますが、それは、新型コロナウイルス感染拡大によって心身ともに疲弊した皆さんの霊(たましい)を浄化し、御神尊様の御神力を授かるためです。
そこで今月は、昭和29年に行われた祈祷祭で、御神尊様が説かれた御教え、〈神慮〉を学んでいきます。
〈神慮〉・・つまり神の配慮とはどういうものか。神の配慮のもとで、人間はどう生きていくことが大切なのかを知り、その実践によって、一人でも多くの方が幸福健康への道を歩んでいただきたいと思います。
〈汝を悩ます者は汝なり
汝 平安に居りたくば
地上の栄華に心奪われず 神慮を糧とし
日の下 日の陰 生命のある処
合掌以て神の手綱に生涯を置け〉
もし今、あなたが悩んでいるとしたら、その悩みは誰のものでもなく、あなた自身のもの。つまり、あなたを悩ましているのは、あなた自身以外の誰でもないということです。まずは、その事をしっかりと認識しましょう。
その上で、本当に幸せになりたいと願うのなら、栄耀栄華に囚われず、どんな時でも、どんな所でも、神の計らいである〈神慮〉のままに生きるよう努めなければなりません。
なぜなら、私たちは誰もが〈神の子〉であり、〈神の子〉としての尊い霊(生命)を授かっているからです。
それ故に、単に物やお金・地位や名誉に心を奪われていては、〈神の子〉としての霊が満足できないのです。
神の計らいのままにこの世に存在している私たちだからこそ、心から神に感謝し、神の存在を絶対と信じること。そして、生涯を通して信仰に精進し、神の思いを大切にする人間に生まれ変われば、必ず幸福になれるということです。
それでは、神の思いである〈神慮〉とは何なのでしょうか。
〈神慮とは
神の思い 神の御心
神のお慈悲 神の御配慮
神様の 天地萬物を憐れみ給うお情け〉
人間はもちろんのこと、万物すべては、神の心・神の愛によって存在しています。小さな虫一匹、雑草一本でも、神の思いによって存在しているのです。
しかも、陽の光や水・空気など、すべての生命が生きる糧を、神は無償で与えてくださっています。それこそが、神の尊い御慈悲であり御配慮なのです。
また、目に見える万物は、個々別々の存在のように見えますが、実は一切(すべて)が一つに繋がって、神の計らいのままに生かされています。それが善隣教の経文である《御璽経》・・〈天地一切一心正念経〉の心なのです。
〈神慮とは
神様がよくよく気を配って
手落ちなく一切のものに対して
無差別平等に慈愛を垂れさせ給う状態〉
私たち人間は、金持ちであろうとなかろうと、食べずに生きていくことはできません。その口にする食材は、陽の光や水など大自然の恵みによって育っているのです。
大いなる神(自然)の力かあるからこそ、人間は食物を育て、収穫し、生きる糧とすることができるのです。動物もまた同じ。一人一人、一つ一つ生命の一切が、その生を全うできるよう、細かく配慮してくださっているのが、まさに神なのです。
誰一人抜けることなく、何一つ欠けることなく、万物一切に無差別平等に慈愛を注いでくださる。そんな深い〈神慮〉によって、万物の生命は保たれていることを忘れてはなりません。
私たち人間は、そうした〈神慮〉、つまり神(自然)の恵みによって生かされているということを、いつも意識し、その恵みに感謝して生きさえすれば、決して人間らしさを失うことはありません。だからこそ、幸せな人生を送ることができるのです。
〈神の 萬者を憐れみ給うが如く
自ら我れを憐れみ 凡ての人を憐れむ者は
神慮に叶い 神慮に守られて飢ゆる事なし〉
神がすべての人を憐れんで生かしてくださっているように、私たちもまた、自分自身を憐れみ、さらに家庭や社会におけるすべての人を憐れむ心を持たねばなりません。
そのためには、すべての人の幸せを祈る心が大切です。すべての人の幸せを祈ってこそ、その心は神の御心に通じ、神は自ずとあなた自身を幸せに導いてくださいます。
ただし、まずはしっかりと自分自身が神の憐れみを受けること。そして、その憐みの心をもってすべての人の幸せを祈る。そんな信仰こそが、〈神慮〉のままに生きることであり、〈神慮〉に守られて、我人偕に幸せに生きる道なのです。
〈神慮に対して感恩の念を持つ者は
神慮に対し合掌の誠を失わず
信仰以て是れを神への手綱として
自ら生涯を楽しむ〉
今の自分があるのは、すべて神からの配慮のおかげであると、感謝の心を持っている人は、自然に神に合掌の誠を捧げることができます。
コロナ禍の今、相手と手を取り合う〈ともすがり〉によって心を通わすことはできませんが、自分の右手と左手を合わせる合掌によって、ウイルス感染拡大が一日も早く終息するよう、神に誠の祈りを捧げることはできるのです。
すべての事象は、神からの配慮、つまり〈神慮〉であり〈気づかせ〉なのですから、「人ではない。自分自身なのだ」と、今まで当たり前だと思っていた神の恵みに対し、感謝を忘れていたことを心から反省しましょう。そして、〈神慮〉に恥じない善なる生き方を目指して信仰に精進することです。
〈神慮を以て贈られる神の御教えを
人間生涯の糧としてこそ 其の永遠や楽し〉
御神尊様は、20年の捨身の御行によって、私たちが幸福健康になるための〈神の御教え〉を授けてくださいました。それはまさに、〈神慮〉によるものです。
したがって、私たちは悩む必要も悔やむ必要もなく、ただひたすら、〈神慮〉をもって示してくださる〈神の御教え〉、つまり〈善隣の道〉のままに生きていきさえすればよいのです。
そうして神に守られ、神に喜ばれる人生を送り、我人偕に明るく楽しい人生を送っていただきますよう、心から祈りを捧げます。
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