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みおしえ
8月 『守るの自覚』
新型コロナウイルスによる感染拡大により、未だに多くの方が苦難を強いられています。
善隣教でも、今まで当たり前のように行われていた本庁や教会への参拝もできなくなり、今年は初めて信徒の参拝がない中で「立教記念大祭」を執り行いました。
6月から、信仰活動も三密に気をつけながら再開することになりましたが、まだまだ不安な気持ちも拭えないことでしょう。
そこで今月は、〈守るの自覚〉の御教えによって、この苦境を乗り越え、幸福健康への道を掴んでいただきたいと思います。
〈人間にして
我れを守らず 家を守らず 世を守らざる者は
その生涯や憐れなり〉
人間としてこの世に生を享(う)けながら、自分自身を守れず、家族を守れず、世の中を守ることができなければ、私たちの人生は、幸福健康に恵まれないだけでなく、たった一度の人生を無意味に送ることになります。
〈我が為にもならず 家の為にもならず
世の為にもならざる者は
人間としての価値を失う〉
自分自身のために、家族のために、そして世の人のために祈っていくことが、結局は、自分も家族も世の人々も守っていくことになります。そしてそれが、人間として生きる価値であり、善隣信仰に精進していく価値なのです。
それでは、我れを守り、家を守り、世を守るということはどういうことなのか、具体的に見てまいりましょう。
〈人間
働くだけでは 生き延びるだけでは
我れを守るとはならず〉
毎日、ただ働いて稼いで生き延びさえすれば、自分を守っているといえるのでしょうか。いえ、それでは人間としての幸せを掴むことはできないため、本当に自分を守ることにはなりません。
それでは、どうすればよいのか、それが次に示されています。
〈常住 我れを喜ばせ 我れを楽しませ
明朗にして 不平なく 不満なく
例え如何なる問題に遭遇するとも
人間我れの自覚を失わざる事に精進する事を
我れを守るという〉
何事も、生命(いのち)あっての人生です。
何といってもまずは、自分自身が毎日を喜んで楽しんで、授かった生命を生き生きと輝かせていくことが、〈我れを守る〉ことに外なりません。
そのためには、心に不平や不満がなく、いつも明朗であること。
たとえどんな苦難に遭遇しても、自分は〈神の子〉であるという自覚をしっかりと持ち、自らを喜ばせることに努めること。
もちろん、人間として生きている以上、喜ぼうと思っても喜べない時も多々あるでしょう。しかし、喜べない事を喜びに変えていくのが信仰なのです。
辛く苦しく大変な時こそ、御神殿の前に額(ぬか)づいて自分を見つめ直し、〈神の子〉である素晴らしい霊の存在である〈我れ〉に気づくこと。それが〈我れを守る〉ということなのです。
それでは次に、〈家を守る〉とはどういうことでしょうか。
〈家を守るとは
家の柱ではない 畳ではない
壁ではない 天井でもない
親子 夫婦 家庭 家族が お互いに
赦し合い 助け合い 睦び合い 愛し合い
偕に楽しき家庭生活にいそしむこと〉
当然のことながら、〈家を守る〉というのは、建物そのものを守るということではありません。親子夫婦・兄弟姉妹など、家族一人ひとりが互いに互いを赦し合い、助け合い、仲良く思い合って楽しい家庭を築いていけるよう努力することです。
人間は誰もが完璧ではなく、不完全な存在です。それなのに、相手には完璧を求めてしまいます。特に夫婦は、日頃、言うに言えずに溜めこんでいる不平不満の感情が、何かのきっかけで噴き出してしまうこともあります。
だからこそ、毎日、新鮮な気持ちで御教えを実践するよう心がけなければならないのです。
最後に、〈世を守る〉とはどういうことなのでしょうか。
〈世を守るとは
家を明るく 以て近隣社会 職場に於て
人に益し 社会に益し 国憲を重んじ
世の安寧秩序を乱す事なく
世の為 人の為にならんとすること〉
〈世を守る〉とは、ただ国の憲法を順守し、社会で何も起こらないように秩序を守ることだけではありません。世のため人のために献身し、平和で安定した世の中を創ることです。
しかし、そのためには、一軒一軒の家庭が明るく和やかであることが基本です。家族が仲良く、心が通う家庭で生きる人は、自ずと世のために生きようとする力を発揮できるからです。
「あなたの家は明るくていいね。あなたの家に行くと元気になる」と言われるような家庭が一軒でも多く増えていけば、社会は自然に明るくなっていくことでしょう。
家庭が明るくなることで近隣社会や職場が明るくなっていけば、それはそのまま〈世を守る〉ことになるのです。
〈汝等今日より
自ら我れを守り 家を守り 世に益して世を守れ
神に守られ 人に守られざるなし〉
何度も示されているように、我れを守り、家を守り、世に役に立つことで世を守ること。それこそが、結局は、神に守られ、人に守られて、幸せな人生を送ることになります。
そのことをしっかりと心に修め、実践しようと決意すること。それが〈守るの自覚〉であり、人生を人間らしく価値あるものにする生き方なのです。
そして今回、「令和2年7月豪雨」によって九州を中心に甚大な被害がもたらされました。心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。
度重なる苦難や苦境に喘ぐ今、信仰の原点に還り、誠の祈りによって人に社会に益するよう精進することが大切です。
それが、「聚善(しゅうぜん)の行」です。
もっと積極的に、善なる心で善を行う。一人ひとりが〈守るの自覚〉をもって、コツコツとひたむきに「聚善の行」に精進されますよう、心から祈念いたします。
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