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みおしえ
4月 『信仰と慈愛』
私たちは今、コロナ禍という大変な試練の中で生活をしています。しかし、そういう中でも、日々、生きていく知恵と力を神から授かっています。
そこで今月は、〈信仰と慈愛〉の御教えから「信仰とは何か」「慈愛とは何か」を知り、自分自身を見つめながら、さらに信仰を深めてまいりましょう。
〈信仰とは
人の 神に向かって神意を乞い
神の大慈大愛に欲せんとして合掌礼拝すること
神意を汲み これを我が意となし
神心の生活に浸らんとすること
和解和合を宗とし 神に合掌するが如く
凡ての人に感謝感恩以て
合掌の生活者たらんとすること〉
そもそも、〈信仰〉とは何なのでしょうか。
人生には、どうしても迷いが生じるもの。その時、まずは自分の生き方や考え方が正しいのか正しくないのかを神に問い、〈神意〉つまり神の心を知ろうと祈りを捧げること。
さらに、「神の大慈大愛によって助けてください」と、願いそのままを神に捧げ、その知恵と力を授かることが、信仰です。
つまり、大いなる神の心を汲み取りながら、その神の心を自分の心として、実際の生活の場で神の心のままに実践することが、信仰なのです。
具体的には、常に皆と仲良く楽しい生活をすることを信条とし、神に生かされていることへの感謝を忘れないこと。その感恩の心で、すべての人に「今日も、ありがとうございます」という感謝の気持ちを持つこと。そうして、どんな時にも〈合掌の生活者〉であろろと心がけることこそが、まさに〈信仰〉なのです。
それでは、〈慈愛〉とは何なのでしょうか。
〈慈愛
慈悲と慈愛
慈悲は内のもの(見えない)
慈愛は外のもの(見える)
慈悲
我れを思い 凡ての人を思い続ける感情の状態
慈愛
我れを大切に 凡ての人を大切にする生活行為の状態〉
まさに〈慈悲と慈愛〉の心をもち、その実践の精進を積み重ねることこそが信仰であると言っても過言ではありません。
ただ、〈慈悲〉は目に見えない精神的なもので、常に人のことを思う心をいいますが、それに対して、〈慈愛〉は目に見える行為行動のことをいいます。
つまり、自分を大切に思うように、すべての人を大切に思う。生かされている自分の生命(いのち)に感謝するように、すべての人に生かされていることに感謝する。その心の状態が〈慈悲〉です。
そして、その慈悲の心をもって、実際の生活の場で自分の生命を大切にし、自分に繋がるすべての人の生命を大切にする行為行動が、〈慈愛〉なのです。
いわゆる、「ありがとうございます」と思う心が〈慈悲〉であり、それを実際に「ありがとうございます」という言葉にして相手に伝えるのが、〈慈愛〉だということです。
それでは、さらに〈慈愛〉とは何かを考えてみましょう。
〈慈愛とは
我れに対する慈愛−−
|−−慈愛
人に対する慈愛−−−
日常生活上に於て
我れと人とを思い続けて 片時も失念することなく
我が為す生活行為を本意に添わしめ
つとめて不用意なる行動に出でざる様
自ら我れを慈しまんとする状態
日常生活上に於て
凡ての人と切れることなく 離るることなく
理解以て和解和合に凡てを注ぎ 喜びと笑顔の中に
平和と明朗に居らんとする生活行為の状態〉
まずは、〈我れ〉つまり自分を大切にしているか、自分に対して慈しみの心があるかを振り返ってみることが肝心です。
本当に自分は自分のことをよく解っているのか。神の心に適った生き方をしているのか。邪気邪念によって自らを苦しめるような行為をしていないかを、よくよく見つめ直すことです。
自分のことが解らないままでは、人のことを理解し愛することはできません。自分自身を理解できてこそ人のことを理解でき、喜びと笑顔で明るく楽しい生活を送ることができるのです。
「信徒活動スローガン」に示されているように、信仰の心をもち、すべての人の幸せを祈ってこそ、すべての人と切れて離れない和解和合の平和な世の中が実現できるのだということを忘れてはなりません。
〈無差別平等の誠こそ慈愛そのものなり
我れを無差別
人を無差別〉
見た目や考え方の違いで人を区別し、差別してしまいがちなのが人間。しかし、人間はすべて神の霊(たましい)をもつ〈神の子〉です。
〈神の子〉であるという一点において、人間はすべて無差別平等。その真実をしっかりと認識し、自分も人もすべて〈神の子〉として尊重し大切にする。その心が〈慈愛〉なのです。
〈凡てを理解消化し
我れを悩まさず 人を悩まさず
和解和合に努力精進する誠心こそ
慈愛そのものなり〉
人と人とが互いに理解し合う生活こそが、まさに愛の生活です。人の心が理解できないから消化不良を起こし、人と対立しては悩み、不幸をつくっていくのです。
だからこそ、互いに互いを理解し、自分も人も悩ませないように誠心で努める。それこそが〈慈愛〉に外なりません。
〈汝今日より
我れを思うが如く 神を思え
神を思うが如く 人を思え
かく信仰と慈愛に生きて生き抜け〉
毎日、自分を思って神を思い、神を思う心で人を思う。そのための祈りに精進することが〈信仰〉であり、その祈りの心のままに実践生活することが〈慈愛〉です。
慈愛の心をもって祈りに徹し、信仰によって今の苦難を打破し、明るい未来が開かれますことを切に祈ります。
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